英語の学習要素をカテゴリーに分ける軸はいくつかあるが、その一つに”インプット”と”アウトプット”の軸で分ける方法がある。
“受信型”と”発信型”
とも言えるね。
この切り口はサラリーマンの英語学習にとって非常に大切な考え方。
というか、
サラリーマンにこそ必要な考え方。
最近になって、日本の英語教育がずーーーっとインプットに偏り過ぎていた事を問題視するようになり、それを見直す動きが活発になっている。
文部省が小学校から英語を必修化したり、大学受験に「読む・書く・聞く・話す」の4技能を織り込み、その方法として外部試験(TOEICとTOEIC SWなど)の導入を検討している理由は、ここにある。まあ、「遅せーよバカヤロー」って話んだけど。
私達が学生の時にいくら英語を勉強しても話せるようにならなかったのは、正に教育が間違っていたからに他ならない。
文部省がどれだけのスピード感を持ってこの改革を成し遂げるのか分からないが、いずれにせよ未来の英語学習のあり方は確実に変わっている。
ただ、問題は「古き悪しき英語教育」を受けてしまった僕らの世代なんだよね。
僕らは既に卒業してしまっているのだから、自分達でどうにかしないといけない。
アウトプットが大切だ、という情報は10年前と比べて遥かに多くなった。
ネット上でもその手の情報は限りなくある。
ただ、それを実践する学習者は相変わらず少ないんだよ。
英語ができる人間が一方通行で説いているだけで、なかなか状況は変わらない。
その原因は次の3つに集約できる。
1.インプット中心の学習(学生の頃に受けた教育を含めて)の危うさが伝わっていない
2.言語学習におけるアウトプットの重要性が今ひとつ伝わっていない
3.アウトプットと言われても、「じゃあどうすればいいの?」という事に対して具体的かつ実践可能な解が無い
この3つについて自ら意識付けを行い、トレーニングをする事で英語力の成長速度は一気に加速する。
1つずつ説明していくので、特に英語に伸び悩みを感じていたり、挫折経験のある人は頭の隅に留めておいて欲しい。
1.インプット中心というステレオタイプ
これは私自身、身をもって痛感した。
私は大学で英文科に入ったので、周りに比べたら多少は英語ができると思ってたんだけど(帰国子女は別として)、大学に入って「こんなにも話せないなんて、、、」ってチョー凹んですよ。
授業の大半は英語で行われるんだけど、まず講師の言ってる事が分からない。自分が言いたい事も全然スムーズに言えない。
あんなに勉強したのに。
入学時に英文科の学生はTOEFLの簡易版みたいな試験を受けさせられて、3段階のクラスのどこかに放り込まれるんだけど、
私は一番下のクラスだった。1番上のクラスと2番目は殆ど外国人枠で入ったネイティブ、帰国子女、留学経験者だけだったから、日本で生まれて日本で育った私みたいな人は大半が一番下のクラスだったんだけど。
でね、気付いたのが周りを見ても私と同じくらい話せないのよ、英語が。
英文科なのに(笑)
でもね、1年生の終わり頃にはそれなりに皆話せるようになってた。
何故か?
それは、高校までの勉強と違ってアウトプットの量が一気に増えたから。
僕らが高校までで受けた教育ではインプットとアウトプットの比率は感覚的にどれくらいだろう?
おそらく、アウトプットを多めに見ても9:1だよ。
授業中に当てられたって、「えーじゃあ、鈴木、次の段落読んで」くらいなものだったでしょ?
英文科とか国際◯◯学科以外の学部で英作文が出される事自体が少なかった。
しかも出題されても2〜3問くらいしかない。
ここで言う英作文っていうのは日本語を英語に書き換えるやつではなくて、「このテーマについてどう思うか?200単語以内で書きたまえ」的な、いわゆる小論文的なやつね。
僕らが受けた英語教育では、英語を使ってコミュニケーションをとる機会自体がなかった。
だから、僕らのやっていた事って、
単語を覚える
イディオムを覚える
文法を覚える
長文を読む
が中心だった。
私と同じ世代かそれ以上の人は皆似たり寄ったりだと思う。
だけど、英文科では
毎週長いエッセイを書かされる
毎週分厚いペーパーバックを読まされ、そのレポートを書かされる
やたらスピーチさせられる
授業中にやたら発言を求められる
やたらグループワークをやらされる
勿論、全部英語で。
授業中に日本語を発しただけで減点する講師も少なくなかった。
Wikipediaをパクったり、Google翻訳なんて使ったのがバレたら即効で落第だった。
で、この時に私が気付いたのは、それまでの自分の英語学習のやり方がいかに偏ったもので実践的ではないか、って事。
それまでの私は「単語とイディオムを沢山覚えて、文法を覚えていけばいつかネイティブばりに話せるようになる」って思ってたんだよ。
だけど、それは今思うと、穴があったらさらにドリルで掘り進めた上で入りたいくらいに、まったく的外れな考えだった。
「英語力のレベル」と「難しい単語や構文の知識」とは比例しない。
それが有効なのは「受験英語」だけである。
これが私の結論。
つまり、受験英語の先に「英語ができるアナタ」はいないワケ。
一方で、国際◯◯学科とか英文科でもないと、ここまでアウトプットの訓練をやらされる事ってない。
だから、大半の人は本当に有効な英語学習というものを体験しないで社会に出る事になる。
するとどうなるか?
社会人になって、「ヤベッ!!!英語やらなきゃ!!!」って状況に追い込まれた時、受験生の頃と同じ事をしてしまう。
テキストの名前が「難関私立大突破!」から「TOEIC640点突破!」に変わったくらいでやってる事は同じ。
では、何が正しいのか?
まず、英語のアウトプットというのは完璧な英語を話す事を意味しない。
これ、大事だからもう一回言わせてもらう。
英語のアウトプットというのは完璧な英語を話す事を意味しない。
じゃあ、何を意味するのか?
アウトプットというのは、文法的に少し間違ってようがなかろうが、単語がドンピシャの意味だろうがなかろうが、
自分の知ってる単語と文法知識でもって瞬時に可能な限りベストな英文を組み立てて発信する事。
例えば、外国人に駅までの道を聞かれたとする(まあ、google mapで探せよって感じだけど)。
“この道をまっすぐ行って、一つ目の交差点を右に曲がったら着くよ”
って言いたいのに、「交差点」の単語がわからない!
そうなった時に、
“Go straight this way and turn right at the next signal there.”
と、文章を極力シンプルにして「交差点」を「信号」に置き換える。
こういうチョイスが瞬時にできるか。
これがアウトプットの力。
もっとぎこちなくて
“Walk this road straight and there…will be…signal….and the station is on your right.”
とかでもいいんだよ。とりあえずは。
問題は、この代替えの文章を瞬時ににひねり出せるのかどうか。
瞬時だよ?瞬時。
ある程度のベース(意味が変わってしまうような文法ミスを犯していないという事)と、スピードが大切。
正確さは一番大切な要素ではない事を認識しないといけない。
完璧主義の呪い
日本の中学・高校で教わる英語っていうのは、とにかく「選択問題」と「和訳」しかない。
よく、「日本の英語教育は文法とリーディングとリスニングしかない。だから6年間も勉強したのに会話もできないんだ!」って事が言われている。これは間違っていないし、私もそう思う。
ただね、私はこの他にもう一つ、日本の英語教育には致命的な点があると思ってる。
それは、選択形式の問題しかない、という事。
TOEICも然りだけど、中間テスト、期末テスト、受験、、、と何回もテストを受ける訳だけど、ほとんどの設問が選択問題でしょ?
問1 次の文章の空欄に入る選択肢を1〜5から選びなさい
The organization insisted that we ( ) water pollution caused by the industrial district.
問1 本文の下線部アの代名詞thatが指すものとして適当なものを次の1〜5から選びなさい
みないな。
つまり、私達は常に正解を事前に選択肢の中で提示されていて、なおかつ正解は常に一つなワケ。
真実はいつも一つ、名探偵コナン!なワケ。
ここが、無意識のうちに英語に対する凝り固まったマインドを形成してしまう。
僕らは、常にどこかに1つだけの正解がある、と勝手に思い込んでしまう傾向があるという事。
さっきの「外国人に駅までの道を聞かれたら?」の例でいうと、曲がる場所は”intersection”「交差点」でも”signal”「信号」でも伝わるよね?もし交差点の角に交番があるなら”police station”でもいい。
だけど、多くの人は「交差点を右に曲がって」と最初に頭に思い浮かべて「あ、交差点って単語が分からない」と気付いた時点で思考がフリーズしてしまう。
で、「あ〜、、、え〜、、、、」と固まってしまう。
手持ちの知識と情報でベストをひねり出す。
これは、英語学習に限らず、日本人に圧倒的に欠けているマインド。
津田久資さんっていう元ボストンコンサルティングにいた人の「超MBA式ロジカル問題解決」っていう、熱いビジネス本(「厚い」のタイプミスではないですよ)にも引用されてる、
“ハーバード・ビジネススクールで学ぶ最も重要なことは、状況がはっきりしないまま、限られた情報と限られた時間の中で、いかに事態を分析し判断を下すかという事だ”
っていう元IBM会長ルイス・ガーナーの有り難いお言葉。これが欧米ビジネスマンの基本的なマインドセットで、これが欧米の教育の根幹にある概念。
一方で、日本人は「必要な情報を全て集めてからでは無いと正解は導き出せない」「正解は一つしかない」というマインドが強い。
つまり、唯一無二の正解を慎重に導こうとする傾向が強い、いわゆる「完璧主義」の側面がある。
海外と仕事をしていると、我ながら日本人ってのは「確認しますので、確認取れ次第連絡します」みたいな解答をする人が異常に多い。
そして、それにイラつく外国人ってのも多い(笑)
英語学習者こそこの欧米のマインドを取り入れるべき。
日本人と同じく英語を母語としないヨーロッパ系の国々の方が平均して英語ができるのは、いつまでもダラダラとインプットばかりに時間を費やさないから。英語の授業は英語で行われるし、発言も求められるし、自分の意見も英語で書く訓練をさせられる。
少しピンときたかな?
よく、海外とのビジネスで日本人は謙虚な国民性だからあまり言いたい事を言わない、みたいな事を言うけれど、国民性じゃなくて教育の問題だと思う。特に海外とのやり取りでは、言うべき事はすぐに言わないといけないし、不完全な情報で判断をしないといけないシーンってのは経営者じゃなくても下っ端でも多分にあるワケだから、仕事ではそういうマインドを国民性とは切り離して持つべき。高校の英語の授業で先生に当てられるみたいに黙って待っていたら、何も発言しないで打ち合わせや会議が終わるからね。
僕らが受けた英語教育では;
詰め込んだ知識を使ってアウトプットを使用する機会がない。
スピーディにアウトプットする事に対して億病になるマインドを形成させる。
これで英語を話せるようになるって方が無理な話なんだよ。
いずれにせよ、一刻も早く使える英語を身につける必要がある私達サラリーマンは学生の頃とは英語学習に対する考え方、とりわけ、アウトプットに対する考え方は1秒でも早く変えないといけない。
大事な事なので繰り返しになるけど、アウトプットの質とは「正確で美しい英文を発信すること」ではなくて、「瞬時に持てる知識の中からベストなものを発信すること」によって決まる。その質で英語学習の効果が圧倒的に違って来る。
長くなってしまったので、残りの
2.言語学習におけるアウトプットの重要性が今ひとつ伝わっていない
3.アウトプットと言われても、「じゃあどうすればいいの?」という事に対して具体的かつ実践可能な解が無い
については、分けて投稿するとします。
手も痛いし。
目も疲れたし。
あ、今回チラっと引用した津田久資氏の「超MBA式ロジカル問題解決」っていう本は、英語学習の本じゃないけど、ビジネスマンにはオススメ。よくある、マッキンゼーの元コンサル達が小遣い稼ぎにが書いた「細かいフレームワークと良く分からないロジカルシンキングの説明に自慢話と季節の野菜を添えて〜」的な本とは違う。
ただ、良書なんだけど、、、もう絶版なのよね。
都内の大きな本屋なら在庫あったりするんだけど、amazonが確実です。
文庫版で再販されたような話も聞いたけど、よく分からないっす。
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