「その英語はネイティブにとって不自然」みたいなネイティブ至上主義の情報はノイズだ

英語を学習していると、

ネイティブはそういう言い方しないよ

とか

それはネイティブの感覚としては違和感が凄い

とかいう情報に出会うんですよね。

英語をネイティブに可能な限り近づけるという事も大事なのでしょうが、それはある程度のレベル(例えばTOEIC700点とか)になったら、必要に応じて考えればいいかなと。

例えば、仕事で海外(英語圏)のクライアントへプレゼンをする、会食をする、みたいな場面に多く遭遇するのであれば、ネイティブ英語に近づける努力をする価値はあるかもしれません。

ですが、最初からそういうレベルを目指す必要は全くない。

そもそも、そこまで英語を洗練させる必要がアナタにあるのかは、英語を学ぶ目的や職業によってだいぶ変わってきます。

 

・仕事で海外とたまーにメールをする程度

・メーカーの工場で勤務していて、年に数回だけ海外のお客さんが視察とか監査にくる程度

 

といった場合、現実的に洗練された英語が必要かというと疑問です。

 

目次

“ネイティブ”に気後れし過ぎ

たまに、、、というか割と頻繁に、「よく英語で○○っていう人いますけど、ネイティブはXXって言うんですよ。おかしい英語が蔓延してて困りますよね」みたいな事を発信している人。

 

あとは、浜崎あゆみの英語力がどうだとか、あのバンドのボーカルの英語の発音がどうだとかいう人。

 

ネイティブを基準にして、英語を使う日本人を子バカにする感じ。

 

英語を学習する上で、こういった情報に気を留める必要はありません。
これらは「ネイティブの英語こそが正解である」「ネイティブから見て不自然な英語は恥ずかしい」という気後れや劣等感が根底にあるようですが、そんな事を言っていたらいつまで経っても英語を話せないですし、「こんな英語じゃ恥ずかしい、、、」っていう思考になってしまいます。

 

そういう思考が英語を身に着ける上ではもっとも弊害になります。
英語ができるから英語を使えるのではなく、英語を使うから英語ができるようになるんです。

 

「恥ずかしくないレベルになったら人と話そう」などと思っていても、そんな日は永遠に来ないのが現実です。

 

ネイティブはたまたまその国に生まれたから、英語が話せるだけで、偉くもなんともないわけです。ちょっと乱暴ですが、「お前が日本語を話せないから、こっちが英語で話してやってんだ」くらいの気持ちでいいかも知れません(笑)

 

英語しか話せないアメリカ人なんて沢山います。
彼らに対して、母国語ではない英語で話をするアナタが気後れする必要は1mmもないと思いませんか?

 

又、外国人が拙い日本語で一生懸命アナタに何か伝えようとした時、アナタはその人を笑います?「え、なにその日本語。ウケる」とか思います?むしろ熱心に聞こうとしますよね?(もしそうじゃないなら、性格悪すぎです 笑)

 

それは逆も然り。

 

一生懸命伝えようとすれば聞いてくれます。

 

もし、英語しか話せないアメリカ人とかイギリス人に、「英語は世界共通語だから、当然お前が英語で話せ」なんていうスタンスの人がいたら、相手にしない事です。教養がなさすぎです。

 

そもそもネイティブはマイノリティ

 

世界の人口から見て、英語のネイティブはマジョリティなワケではありません。
私たちがいうネイティブとは所謂「英語を母国語とする人たち」ですよね。なので、色々な母国語が混在しているので便宜上、英語を「公用語」としている国、例えばインドやシンガポール、香港といった国を感覚的にカウントしていません。

 

なので、実質は

アメリカ:3.2億人

イギリス:6,500万人

オーストラリア:2,400万人

カナダ:3,600万人

※出典:国連統計

 

くらいです。
合計で、4億5000万人くらいです。

世界が今、76億人ですから約6%くらいです。
その6%の人に合わせる必要があるのかっていう事です。

ここで言いたいのは、ネイティブがマイノリティという事そのものよりも、

 

今の時代、英語を「ノン・ネイティブ同士のコミュニケーション手段」として使うケースが圧倒的に多いという事です。

 

私自身、色々な国に拠点がある会社で働いていますが、生粋の英語ネイティブとやり取りするケースはあまり多くありません。むしろ、中国や欧州(イギリスではなく)、メキシコ、韓国、そういった国々の人と、英語でやり取りするケースが大半です。

 

「英語が必要だ!」「グローバル化の波がいよいよ到来している!」と耳にしますが、それはネイティブ・イングリッシュを前提とはしていません。英語がたまたま歴史的な背景もあって、「世界で一番使われている外国語」だから、便宜上それを使っているわけです。

 

とにもかくにも、

 

必要な意思伝達をして業務を遂行していくだけの英語力が必要

 

というのが今の時代の主張であって、ネイティブっぽいかどうかは全く別の話です。

 

相手が中国人なのに「ネイティブっぽい」とか言ってる事に意味はないですよね。
勿論、ネイティブの英語ってのは何となくカッコよくて憧れる気持ちは理解できますが、それを「できる・できない」の基準にする事には弊害しかないですし、時代と合ってないように思います。

 

 

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