僕ら日本人は英語を習う時に「文型」というツールを使って覚えるように教えられる。
私は中学の時、この文型が分からなくて、凄く嫌いだった。
そして文型ってのが何なのかイマイチわかんないまま高校へ上がって。
んで、その大切さみたいなものがピンとこないまま大学の英文科入って、、、、そのまま卒業した。
いや、一応、5文型ってそれぞれどんなの?っていう基礎的な事は分かってるつもりよ?一応、英文科卒業したワケだし、、、。
ただ、文型に無理矢理落とし込む意味は無いと思ってる。
Give me your love.
Give it to me !
とても簡単な文章。
これを知ってれば、giveは2通りの使い方があって、
give + 貰う人 + あげるモノ
give + あげるモノ to 貰う人
なんだなって分かる。
それが分かった時に、
Give your love me.
という英文に対して、「いや、変だろ」って感覚が生まれる。
これが4文型だろうと何文型だろうと、それ自体はあまり意味がない。
大切なのは、giveはこういう順番で使うって事。
ただ、私は文型という考え方が全くいらないって言ってるワケじゃない。
修飾語やら何とか節やら関係代名詞がグチャグチャくっついてる蛇みたいな文章の骨子を捉えるには、不可欠。
「英語が苦手」って言う人の多くは、長い英文になると途端に単語の羅列にしか見えなくなる。
文章の切れ目が見えていない。何故なら、文章の構造が分かってないから。
文型を捉える、という事は、つまり文章の構造を理解するって事。
ただ、文型ってのはあくまで文章の基本構造を把握する為のツールでしかないし、
所詮、日本人が作った概念だから、絶対的なものではないって事は知っておくべき。
たまに、長くて複雑な文章にパニクって
なっなんだと!?、、、第6文型、、、だと!?フザケやがってぇぇ!!!
と惑星ベジータの王子のように憤ってる人がいますが、
それは錯覚です。
2文型とも解釈できるし、3文型とも解釈できるようなものが世の中にはあるのよ。
英語って結局、言語だから理屈で説明しきれないとこは沢山ある。
文型の分類は完全じゃないって事。
He seems to have a problem.
これ何文型?
って感じだよね。
seemも動詞だし、なんかhaveも動詞っぽいしね。
一つの解釈としては、seemを動詞(V)として、to have a problemを名詞句(補語になる)と考えて、SVCの第二文型って考え方。
ただ、「seemと来たらto doが無いと成り立たねーだろ!!!」ってんでseem to have までを述部(動詞)としてマルっと捉えて、a problemを目的語とする、SVOの第三文型で捉える人もいる。
でもーーー!!!でもでもーーー!!!3文型だったら、目的語を主語にした受動態が成り立たないとおかしーでーーす!!
A problem is seemed to have by him.とは言えませーーん!!!
いやいや!!!
A problem is seemed to be had by him.であれば表現的には不自然でも文法的に間違いとは言い切れない!!!
準動詞であるto不定詞は述部の一部であり、つまり主たる述語であるseemの態の変化に付随して受動態の形式を取らねばならない!!!
うるせーよって感じだよね。
まあ、学者さんにしたら重要な事なんだろうけど、「英語を話せるようになる」とか「TOEICで◯◯点取る」って事には全く関係ないからね。
だから言語学者ってのは英語を話すのがヘタクソなのかね。
確か、、、seemは極めて助動詞的な位置づけにあり、、、◯&△(%'”&ってな事を大学で教わったけど覚えてない。
私個人としては、マルっと動詞を捉える方が好き。
can do
should do
want to do
will do
be able to do
seem to do
be going to do
みたいなのは、明らかに後ろに動詞が来るんだからセットで考えればいーじゃんって。
だって、それで困る事ないもの。
しかも、それによって文章の意味の解釈が間違う事もないもの。
どこからどこまでが主語?
どこが動詞?
どれが目的語?
どれが補語?
って事がしっかりと分かればそれでいいワケです。
文型はツールに過ぎない。文型に落とし込むのは解釈の為の手段に過ぎない。
だけど、必死になりすぎて、いつの間にか「コレは何文型か?」という答えを探す事が目的になっている人がいる。
だから英語が伸びない。
あまり近視眼的に文型に縛られ過ぎると、ドツボにはまって幻の第6文型が見えてくるので。
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